J-Law°

司法試験・予備試験受験生やロー受験生のモチベーション維持のために、定期的に問題の検討をしていきます。

検討課題1:検討編②~判断枠組みの定立~

Ⅲ 判断枠組み

1 知識の整理3-泉佐野市民会館事件を読む

 泉佐野市民会館事件判決では、「正当な理由」の合憲限定解釈が用いられました。判例を分析的に読んでいきましょう。

 「集会のように供される公共施設の管理者は、当該公共施設の種類に応じ、また、その規模、構造、設備等を勘案し、公共施設としての使命を十分達成せしめるように適正にその管理権を行使すべきであって、これらの点から見て利用を不相当とする自由が認められないにもかかわらずその利用を拒否し得るのは、利用の希望が競合する場合のほかは、施設をその集会のために利用させることによって、他の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に限られるものというべきであり、このような場合には、その危険を回避し、防止するために、その施設における集会の開催が必要かつ合理的な範囲で制限を受けることがあるといわなければならない。そして、右の制限が必要かつ合理的なものとして肯認されるかどうかは、基本的には、基本的人権としての集会の自由の重要性と、ⅰ当該集会が開かれることによって侵害されることのある他の基本的人権の内容やⅱ侵害の発生の危険性の程度を較量して決せられるべきものである。」としています。つまり、権利の重要性vs侵害の程度・侵害発生の蓋然性の視点から解釈密度を決定しているのです。そして、泉佐野市民会館事件判決では、二重の基準論を前提に論証しつつ、厳格な基準を求めています。つまり、権利の重要性と制約の重大性から厳格な基準を求めていることになります。

 このように法令違憲と同様の検討を経ています。法令違憲と処分違憲では、結局、天秤に乗せるものに差はありません。すなわち、左の天秤に不利益性(=権利の重要性×制約の重大性)を乗せ、それと釣り合うような利益(=目的・公益)か、そして釣り合っているのか(関連性・必要性)を検討するのです。そのため、まず、左の天秤にどれだけのものを乗せるかを確定すればよいのです。この点では、目的手段審査と変わることがないのである[1]

 実際、条例の解釈にあたっては、本件条例7条1号は、「公の秩序をみだすおそれがある場合」を本件会館の許可の使用をしてはならない事由として規定しています。判例は、このような「広義の表現をとっているとはいえ、右のような趣旨からして、①本件会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、前記各大法廷判決の趣旨によれば、②単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解するのが相当である……。そう解する限り、このような規制は、他の基本的人権に対する侵害を回避し、防止するために必要かつ合理的なものとして、憲法21条に違反するものではなく、また、地方自治法244条に違反する者でもないというべきである。そして、上記事由の存在の肯認には、そうした事態の発生が「許可権者の主観により予測されるだけではなく、客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測される場合でなければならないことは言うまでもない。」としています。

 判例は不利益性を鑑みたうえで、①②であれば釣り合う(合憲となる)と判断したことになります。

 

2 知識の整理4―敵対的聴衆の法理

 集会の自由の判断枠組みとして、敵対的聴衆の法理という論理がありました。上尾市市民会館事件判決(最2小判平成8・3・15民集50巻3号549頁〔平成8年度重判6事件〕)で用いられた考え方です。

 同判旨では、「主催者が集会を平穏に行おうとしているのに、その集会の目的や主催者の思想、信条等に反対する者らが、これを実力で阻止し、妨害しようとして紛争を起こすおそれがあることを理由に公の施設の利用を拒むことができるのは、前示のような公の施設の利用関係の性質に照らせば、警察の警備等によってもなお混乱を防止することができないなど特別な事情がある場合に限られるものというべきである。ところが、前記の事実関係によっては、右のような特別な事情があるということはできない。」と判示しています。

 この例外として初めて拒むことができるという規範を泉佐野市民会館事件の規範に追加すること(敵対聴衆による明白かつ現在の危険があったとしても、警察の警備等によってもなお混乱を防止することができるなどの特段の事情がない限り、「正当な理由」は認められない)で、より原告に有利な規範ができることになります。

 このような例外的な場合に限定する理由(敵対的聴衆の法理の根拠)は、内容に着目した規制であり、かつ、当事者に帰責性はないことであると考えられます。敵対的聴衆の法理は指定的パブリックフォーラムの場合に限定されるとの考えもありますが、上記の理由によれば限定されないと考えます。

 

3 本問の検討

 権利の重要性は、成田新法事件判決の2つの性質に着目して検討することになります。なお、あくまでも成田新法事件判決の2つの性質は集会の自由の一般論を述べたにすぎず、必ずしもすべての集会がこれにあたるとは限りません。その意味で、本件の集会に即して“あてはめ”を行う必要があると考えています。

 制約の重大性については、事前or事後内容規制or内容中立規制の観点から検討をすることになります。本件条例は許可制という事前規制を用いています。「事前規制だから、制約は重大である」との論述は因果関係が飛躍しています。事前規制だとなぜ制約は重大なのか。それは、保障根拠への影響が大きいからです。保障根拠を踏まえた論述を心掛けてください。これは、内容規制や内容中立規制の場合にもいえます。本件では、聖火リレーでの警備に関する問題を理由にしていますから、その時間でなければ問題なさそうです。そうすると、時間に着目した規制ともいえます。他方で、他の公園でも可能であることからすれば、場所に着目した規制ともいます。また、表現活動そのものを否定するものではなく、警備の都合からくるものですから、いわゆる間接的付随的規制ともいえます。もっとも、Xらがあえて聖火リレーの通過するところのB中央公園を選んだことに何らかの意味があるのでしょう。それは、Xらの意見を対外的に表明するために必要なことだったのではないでしょうか。そうだとすれば、B中央公園でやることに意味があり、それ以外の場所では意味がなくなってしまう。このように考えると、保障根拠へのインパクは大きいともいえます。

 本件では、制約の態様がなにかを確定させたうえで、それがXらの集会の自由との関係で、どのような影響があるのか(保障根拠へのインパクト度合いはどの程度なのか)をしっかりと検討する必要があります。

 その上で、「①本件会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、前記各大法廷判決の趣旨によれば、②単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解するのが相当である」とした泉佐野市民会館事件判決と同様の程度の厳格さでいいのかを考えてください。なお、もう少し緩やかにしたいというのであれば、①の部分については、「集会の自由よりも」と言っている部分を「集会の自由と同等の」とかに変更すれば足ります。また、②についても「では足りず」と言っていることから、前者で足りるという判断枠組みが立つことになります。

 また、敵対的聴衆の法理を適用させる事案でしょうから、その点も忘れずに指摘をすべきです。

 

※検討編③へ続く!

https://j-law.hatenablog.com/entry/2020/05/08/233245

 

[1] 処分違憲の際に目的手段審査を用いることは妥当ではしません。というのも、目的手段審査は立法の制度に着目したものであるからです。もっとも、本文記載の通り、検討の中身に差があるわけではありません。そのため、目的手段審査っぽいものを使うことは可能であると思います。すなわち、「当該処分の理由が他の権利を考慮したものであり、処分の内容が必要かつ相当である場合」などといった基準です。