J-Law°

司法試験・予備試験受験生やロー受験生のモチベーション維持のために、定期的に問題の検討をしていきます。

検討課題9:検討編②~ノンフィクション「逆転」事件~

Ⅲ 大枠となる判断枠組み―比較衡量

 個人の情報の公開が権利侵害にあたるかどうか、特に表現の自由憲法21条1項)ではその判断枠組みについていくつか判例があります。いずれの判例も、表現の自由vsプライバシーという二つの権利を天秤にかけ、判断しており、比較衡量です。

 本問の状況に近いものとしては、3小判平成6・2・8民集48巻2号149頁〔ノンフィクション「逆転」事件〕[Ⅰ-61が思いついてほしいところです。この事件では、表現の自由vs前科情報について、権利侵害となり得る基準を明記しています。

 判旨では、「要するに、前科等にかかわる事実については、これを公表されない利益が法的保護に値する場合があると同時に、その公表が許されるべき場合もあるのであって、ある者の前科等にかかわる事実を実名を使用して著作物で公表したことが不法行為を構成するものか否かは、その者のその後の生活状況のみならず、事件それ自体の歴史的又は社会的な意義、その当事者の重要性、その者の社会的活動及びその影響力について、その著作物の目的、性格等に照らした実名使用の意義及び必要性をも併せて判断すべきもので、その結果、前科等にかかわる事実を公表されない法的利益が優越するとされる場合には、その公表によって被った精神的苦痛の賠償を求めることができる」としています。

 簡単にまとめてしまえば、表現による公益を上回る法的利益であれば、それは侵害にあたるということです[1]。結局、ここでは、情報が公開されることについての不利益と表現活動による公益の比較衡量をしているということになるでしょう。そして、その各々の考慮要素が細かく挙げられています。

 さて、ここで、3小判平成29・1・31民集71巻1号63頁〔Googleサジェスト訴訟〕[Ⅰ-63を思い浮かべた人もいると思います。この判例も、プライバシーの法的利益を認定した後に、検索エンジンに関する検索事業者の表現の自由が重要であることを踏まえて、「諸事情を比較して判断すべきものであり、その結果、当該事実を公表されない法的利益が優越することが明らかな場合には、検索事業者に対し、当該URL等情報を検索結果から削除することを求めることができる」との判断枠組みをしました。ノンフィクション「逆転」事件とは異なり、「明らかな場合」としていることから、侵害と認めるハードルが上がり、厳しいものとなっています。Yにとっては、この判例の方が多少有利ですから、この判例を使うように、自らの表現活動が社会において重要なことを主張していくことになります。例えば、サイトの運営は表現行為に外ならず、憲法21条1項で保障されるところ、破産者の情報を整理してインターネットに掲載することは、経済社会にとって有益な情報の提供といえ、国民の知る自由に奉仕するものであり、重要な表現行為である、といった感じでしょうか。

 Xの弁護士としては、この明白性の要件があると不利なので、この要件をそもそも利用しない形にもっていきたいところです。そうすると、明白性の要件がなぜ設けられたのかを考えなくてはなりません。この点については、いろんなことが考えられますが、表現の自由の重要性が影響しているのと考えています。検索エンジンのように思想の自由市場の根本となるようなものであることから、微妙な判断のときに削除ができてしまうのはよくないという考えはどうでしょうか。そうだとすれば、Yの表現活動が検索エンジンと同様の機能を有するのか(官報で公表されていれば、別途まとめる必要はないのではないか。また、官報で公表されているのは債務者のためであり、10年近く経った現在において債務者の知る自由への奉仕は意味をなさないのではないか)などが考えられます。この点については、かなり発展的な部分です。

なお、本件は、「明らかな場合」が認められやすい事例ですので、ここで争わずに、個別具体的な検討として争うことは十分にあり得ます(出題趣旨もGoogleサジェスト訴訟判決の基準を採用するものと考えられます。)。

 

Ⅳ 個別具体的検討

 上記の判断枠組みを踏まえて、個別具体的検討に入ります。まずは、情報開示の不利益性を検討していきます(左の天秤の検討です。不利益が大きければ大きいほど、それを保護する必要性は高く、法的利益としてはレベルが高いことになります。)。その上で、それと釣り合うレベルでの公益性があるのかを考えていきます。これって、レベル感が違いますが、思考のプロセスには変更がありませんよね。判断枠組みの定立の本質を知っていれば、いつも通りのことだと思っているはずです。

 

1 左の天秤の検討―破産情報公開の不利益

 知識の整理Ⅱで観点から検討してみましょう[2]。情報の内容については、保障範囲の部分でも論じていると思いますが、ここでは、私生活に関する情報の中での濃淡を検討していきます。どれくらい私生活に関わるものなのか(中心的なのか、周辺的なのか)の検討が重要です。破産の事実は、その個人の経済生活における信用に関わるものです。そのため、私生活上知られたくない情報の一つといえ、このような情報は平穏な私生活を営む上で重要なものといえます。

 制約の態様としては、知識の整理に示した段階のうち、最も重大なレベルである公開です。しかも、ウェブサイトという公開性の高い媒体であり、一度掲載されると半永久的に記録が残ってしまうものです。そうすると、私生活への影響は重大なであり、制約は重大となります。

これに対し、Yとしては、官報に掲載されているものであり、私生活に関わるとしても、公的な情報として秘匿性の低い情報であり、公開を受忍すべき情報であるとの反論が考えられます。また、すでに官報で公開された情報であることから、Yにより初めて公開されたものではなく、制約の程度も大きくないとの反論が考えられます。この点について、10数年経過していることから、公的側面が低いことを指摘することになるでしょう。また、官報という公的な手段を取っているのは、債務者に対する告知の意味が大きく、これを世間一般に広めることは目的とされていないことから、同じ公開としても質の違う公開ということになると考えます。このような観点については、いろいろな再反論を余地があると思います。

以上を踏まえて、どのような目的のためのウェブサイト掲載であればいいのか、どのような形での掲載であればいいのかという具体的な判断枠組みの定立してみるといいと思います。例えば、ウェブサイト掲載の目的が官報だけでは到達し得ないやむを得ない目的であり、また、その手段として必要最小限度のものであれば、プライバシーの法的利益を超えるものといえ、権利侵害とはならない、とかどうでしょうか。

 

2 右の天秤の検討―破産情報公開の公益性

 全国破産者地図の目的は、誰でもアクセスしやすい形で個人の信用に関わる破産という情報を広く世間に知らせることです。これは知る自由に奉仕するものであるから、重要な目的といえるでしょう。しかし、官報がある以上、あえて私人がやる必要性があるでしょうか。また、10数年も前の情報と今の個人の経済的信用性が必ずしもリンクしているとは考えにくく、かえって誤った情報を流通させることになりかねないのではないかということも考えられます。ここでのポイントは、あえて私人がウェブサイトにまとめる必要性がどこまであるのかという点について考えることです。その際には、破産の事実が私たちの生活においてどのように役に立つのかという点も踏まえて考えてみるといいと思います。

 あえて結論を明記しませんが、Xの弁護士ですから、権利侵害になるように論理を持って行ってください。

 

Ⅴ まとめ

 訴訟上の主張という形は書きにくいかもしれませんが、基本となる思考に変わりはありません。ただ、ちょっと書き方を意識すればいいのです。どの要件の話なのか、どのような大枠となる判断枠組みがあるのかを押さえておくことです。比較衡量という大枠の判断枠組みであれば、いつもやっている思考が応用できます(というか、ほぼ比較衡量だと思いますが…。)。近年の司法試験の形式は違いますが、意識すべきことを押さえておくことが大事です。

Fin

 

[1] 上回る利益かどうかってどうやって判断するかがよくわからないところでしょう。事件の個別具体的検討の部分をみると、利益があることを前提に、不利益を受忍しなければならない場合かどうかという検討がなされています。つまり、公益のために犠牲になっても仕方ないと言えるかどうかがポイントになっていると考えられます。

[2] 平成29年判決では、「当該事実の性質及び内容、当該URL等情報が提供されることによってその者のプライバシーに属する事実が伝達される範囲とその者が被る具体的被害の程度」にあたるものです。