J-Law°

司法試験・予備試験受験生やロー受験生のモチベーション維持のために、定期的に問題の検討をしていきます。

検討課題12:検討編②~原告の憲法上の主張~

Ⅱ 原告の主張(設問1)

1 入口の特定

 まず、入口において、違憲の対象および条文・権利の選択、具体的自由の設定を確認しておかなければ、説得的な論証ができなくなってしまいます。頭の中でどのようなことを意識するかをざっと確認してから中身の検討に入っていきましょう。

⑴ 違憲の対象

 本問では、条例4条が定める届出の義務違反により、条例8条に基づき所要の手続きを経て5万円の過料に処するとの処分を受けたXが、A県に対して、当該処分の取消訴訟を提起したものです。この事実から、条例4条および8違憲の対象となることが想定されます。もっとも、条例8条は、条例4条の実効性を高める要素にすぎないので、メインとなって、書くべきなのは、条例4です。

⑵ 具体的自由の設定と条文・権利選択

 では、Xはどのような具体的な自由を主張していくのでしょうか。問題文中に、届出義務の看板を見たXは、「山登りをするのは個人の自由」だと考えています。そこで、“山登りをする自由”を具体的な自由と設定することができるでしょう。問題は、これは何条の権利なのかという条文・権利選択が難しいところです。

 例えば、山登りという移動と捉えれば、移動の自由として22条1により保障されるとの論理が成り立ちます。ただ、ここで少し考えてもらいたいのは、届出制という点です。届出制の場合、届出をすれば山登りをすることはできるのであるから、制約が認められない(あるいは、その程度が重大ではない)おそれがあります。このことを踏まえると、移動の自由として構成するのはちょっと弱い気がしてきます。

 条例4条をよく見ると、個人の情報を届け出なくてはならず、また、登山の期間及び行程を提出しなければならない(条例4条各号)とされています。このことから、みだりに情報を収集されない自由に対する制約ということにつながる可能性が出てきます。このような考慮を踏まえて、具体的な自由を設定すると、13の保障範囲にのりやすくなります。

 そこで、単に“山登りをする自由”ではなく、“個人の情報等を提出しないで山登りをする自由”という形で具体的な自由を設定することで、より制約を認定しやすく、また、権利の重要性も増すことになると考えられます。

 ただ、このような具体的自由の設定ができる受験生はほぼいないと思います(実際に数名いただけでほとんどの受験生は単なる山登りの自由と設定し、22条1項もしくは13条後段により保障されると論証を展開したようです。)。

 2019年度の検討資料でも示しましたが、やはり慶應ローではこの入口の設定がかなり重要になってくる印象があります。

 

2 憲法上の権利の制約

⑴ 保障範囲

 “個人の情報等を提出しないで山登りをする自由”は、憲法上のどの条文の問題であるかを明記する必要があります。この点、このような自由は憲法上保障されないと考えるのが筋だと思いますが、原告の主張としては、憲法の条文により保障される権利であるとして主張すべきでしょう。そこで、候補としては、22条1項と13条後段があがります。いずれか片方の検討で十分ですが、せっかくですから、どっちも考えてみましょう。

⒜ 22条1項

 22条1項の「移転」とは、生活の本拠を移すことです。生活の本拠の決定は自己に委ねられるべきであることから、人格の発展に不可欠の権利とみなされることになります。本問は、生活拠点を移すことではありませんから、直接的な定義にはあたりません。

 しかし、「移転」については、経済的自由の側面だけでなく、自己の好むところに移動するという人身の自由の側面他の人々との幅広い人的交流を通して人格形成に深く寄与し精神的な自由の側面ももっているとされています。このことから、「移転」には、より広く解釈して、移動する自由も保障されると考えることができます。原告としては、この人身の自由の側面および精神的自由の側面を主張していくことで、“個人の情報等を提出しないで山登りをする自由”が移動の自由として、22条1項により保障されるとの主張を構成することになると思います。

 山登りは、一種の試練とも捉えることのできるものであり、これを体験することで己の精神力を鍛えることができるとともに、通常では見ることのできない風景をみることにより得難い体験をすることを通じて、個人の人格形成の発展の契機とすることができると考えられます[1]。このことから、精神的自由の側面を有しているといえます。また、個人の情報を提出しなければならないことになると、萎縮効果が生じ、精神的な理由等の側面から活動の制限がされるといえ、個人の情報等を提出しないで登れるからこそ、真の人身の開放となるとも考えられます。このような主張をすれば、“個人の情報等を提出しないで山登りをする自由”が移動の自由としての側面を有するとして、22条1項により保障されるとの主張がより説得的になるでしょう。

⒝ 13条後段

 13条後段の包括的人権の一種として論じることもできなくはありません[2]。13条後段の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の保障範囲の検討にあたっては、判例・通説によれば、①私生活上の自由②人格的生存に不可欠な権利となるもの③人格的生存にとって不可欠でないもの、の3類型に分かれる。このあたりの知識の整理については、検討課題7(https://j-law.hatenablog.com/entry/2020/05/31/171746)や検討課題9(https://j-law.hatenablog.com/entry/2020/06/08/184840)を参照してください。

 このうち、①については、判例は、みだりに情報を公開されない自由などのいわゆるプライバシー権について用いています。本問でも、“個人の情報等を提出しないで山登りをする自由”のうち、“個人の情報等を提出しないで”という部分に着目すれば、「私生活上の自由」としての構成はできないことはないと思います。条例4条各号の求めている情報は、私生活領域に関する情報といえ、これをみだりに収集されない自由は、私生活上の自由として、13条後段により保障されるといった感じです。ただし、本問は、収集の場面であり、かつ、単純情報という情報の重要性が乏しく私生活との関連性が大きいものとはいえないものである[3]ことから、住基ネット事件判決[4]判例理論の適用がされやすく、制約が認められない可能性が高いことに留意する必要があります。

 上記の留意点を踏まえると、原告としては、②の類型に属すると主張するというのも一つの手だと考えます。ただ、この場合の問題は、人格的権利説へのあてはめです。人格的生存に不可欠といえるためには、山登りをすることがXの人格形成にとって不可欠であることを論じなければならず、移動の自由として保障されること以上に説得的な論理を展開しなければならない。

 

⑵ 制約

 制約の認定について、上記のように“個人の情報等を提出しないで山登りをする自由”と設定した場合、届出をすることを義務付けることで、個人の情報を提示しなければならないことから、制約が認められることになります。

 単に、“山登りをする自由”と捉えた場合、届出制の性質から制約を認定するのが難しくなります。届出制は、許可制とは異なり、届出をすれば登山をすることができます。このことから、制約がないと考えることもできます。このような場合には、届出制を用いることで、山登りをすることについて萎縮効果が生じるという形で構成することが考えられます。すなわち、届出のために資料を用意し、その届出をするという作業をすることが煩わしく、また、個人情報などを提示しなければならないことから、山登りをすること自体を積極的に行わないようになるという意味で、萎縮効果が生じ、“山登りをする自由”の制約が認められることになるでしょう。

 

3 判断枠組みの定立

 判断枠組みの定立についての知識の整理は、検討課題7(https://j-law.hatenablog.com/entry/2020/06/01/172648)で示した通りです。事案により踏み込むことができていれば、それだけ説得的な論証になります。

 22条1項により保障されるとした場合、移動の自由の保障根拠としては、①経済活動としての生活の本拠は自らの意思に委ねられるべきであることから、人格の発展に不可欠であるという点、②自己の好むところに移動するという人身の自由の側面、③他の人々との幅広い人的交流を通して人格形成に深く寄与する点、があげられます。これらについては、保障範囲のところで論じていますが、その程度がどれほどのものかをここでは論じるべきです。例えば、人格形成につながるとはいえ、どの程度つながるものなのか論じることになります。他方、制約の重大性としては、個人情報を届けた上で山登りをすることにより、どのような側面にどの程度の影響があるかについて説得的に論じる必要があります。山登りをすること自体にはそれほどの制約は認められないことから、個人情報の提出がどれほど大きな障害(萎縮効果)をもたらすものなのかが中心的な検討課題となるでしょう。また、裁量が働く可能性がある場合は、裁量を認定する必要があります。この場合、必ず裁量の根拠を示すことが必要です。

 13条により保障されるとした場合、個人の人格的価値にどれほど不可欠なものなのかを論じることになります。また、制約として、人格的価値をどれほど棄損するものなのかを論じることになります。

 これらの検討をしたうえで、目的手段審査の用いた判断枠組みを定立すればよいです。この定立においては、「厳格に判断する」とだけするなど、具体的な内容を明確に示していない場合は、具体的にどのように検討するのかについて示しきれていないので、できる限り、具体的な内容を決定すべきです。

 

4 個別具体的検討・結論

 各判断枠組みに応じて、検討の対象が異なります。例えば、「目的が重要」とするのであれば、どういう要素があれば「重要」なのかを把握している必要があります。

 このように具体的な要素を踏まえて、検討していきます。まず、目的を明確に認定している必要があります。目的は、A県登山届出条例の目的ではなく、条例4条の目的を認定しなければなりません。そのため、単に条例1条を引用し、条例1条と指摘することは誤りです(これについては、検討課題7の際に説明しています。)。とはいえ、条例1条は参照に値するものです。条例4条の目的は、「登山者に届出を課すことで、山岳避難の防止及び遭難時の迅速な救助活動等を図る点(条例1条参照)」ということになると思います。そして、これは、登山者の生命・身体を保護するものであり、憲法13条の「生命・身体」の権利を保護するものといえます。そのため、他の人権侵害の保護ということになり、重要とはいえるでしょう。問題文の1段落目から、立法事実もあることから、緊急性・緊迫性を認定できることになると思いますが、ここは原告としては否定したいところです。

 手段についても明確に認定する必要があります。手段としては、届出制を端的に認定します。そのうえで、届出制により目的が達成できるのかを論じることになるでしょう。また、必要性・相当性についても論じることになります。いずれも論じる場合は、必ず、どの要素について論じているのかが明確になるように論述する必要があります。

 結論として、違憲を主張しなければなりません。

 

検討編③へ続く!

検討編③⇒https://j-law.hatenablog.com/entry/2020/06/24/181907

 

[1] 慶應ロー公法総合Ⅰの2013年期末試験の「採点基準・講評」の資料では、このようなあてはめを行っている。

[2] この点について、前掲注1の資料では、「『一般的行為自由説』的に理解する幸福追求権が考えられるが、本問において包括的基本権に頼る必要があるか、は問題となりうる」としている。このことから、人格的利益説により説明することは説得的なものではないと考えられる。個別条項にあたる権利であれば、一般法的な位置づけの包括的人権を選択するのは適切な処理ではないということであろう。

[3] 最2小判平成15・9・12民集57巻8号973頁[Ⅰ—18]〔早稲田江沢民事件〕では、「単純な情報であって、その限りにおいては、秘匿されるべき必要性が必ずしも高いものではない」とされていることから、私的領域への影響は乏しく、外延的な情報にすぎないことになる。

[4] 最1小判平成20・3・6民集62巻3号665頁[Ⅰ—19]。