J-Law°

司法試験・予備試験受験生やロー受験生のモチベーション維持のために、定期的に問題の検討をしていきます。

検討課題11:検討編②~知識Ⅱ:3つの社会~

3 社会とはなにか―共同体の誕生

 今までの話は、個人のレベルでの話でした。これを社会レベルで語ってみます。社会とはなにか。それは、同じ規範を内面化した個の集合体です。例えば、我々は日本語という文化的規範(言語というルール)を内面化し、日本語を話しています。そして、日本語を話す人々の集団として日本という国・社会ができています。

 このように「社会」とは、同じ規範を共有しているから成立しているのです。この共有された規範がなければ、我々は会話をすることができませんし、違う人々が違う行動をしているわけのわからない空間が存在するにすぎず、「社会」とは言えません。そのため、必要最低限度の規範はなくてはならないのです。

 法律を学ぶ我々にとっては、理解しやすいことだと思います。例えば、日本人は日本法を理解しています。それだからこそ、日本という国家が成立しているのです。法律がなければ、みんなが好き勝手してしまい、社会が混乱するのは当然です。

 ここも図を用いて説明していきます。

 

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図3

 まず、青い丸が規範です。規範を内面化することで、個人が自律します(もちろん、個人の中には規範と異なる部分=個性があります。オレンジの三角や緑の四角はその個性を表します。)。そして、規範を共有する者たちの間で社会ができていくのです。次からの話は、この図の各要素の強弱関係をいじってみたらどうなるかという話です。

 

4 規範の押し付けによる同一化―トップダウン型の社会

 では、規範を強力なものとした社会はどうでしょうか。つまり、行動の規律は完璧で、その社会の構成員は、社会のルールに従って動くことになります。このルールを作るのが、政治(多数決による決されるので、多数派の論理)であったとしたら、政治家の命令は絶対ということになります。トップダウン型の社会なのです。軍事国家がその例です。

 このような社会では、規範以外の個性というものを発揮する機会がありません。個性は、他とは違う部分ですから、規範以外の部分であり、規範とは異なる考えなどです。そのため、抑圧されてしまいます。つまり、このような社会は、差異を消滅させることである種の平等を手に入れるのです。

 先ほどの図を使って考えてみましょう。

 

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図4

 個人には、自らを律するための規範とそれとはちょっと違う個性という部分があります。規範が強く、みんな一緒に行動しましょうとなったら、個性を発揮した行動はできません。赤い矢印のように抑圧されているのです。そうすると、青い丸だけの社会ができます。もちろん、三角のような社会とは相容れない関係になってしまうのです。

 この社会の大きさをいろいろ変えて考えてみると面白いと思います。例えば、教室という社会で考えてみると、まさに「いじめ」はこの構図ではないでしょうか。また、世界という社会で考えてみると、国民国家が自分の国のために国民を統制し、他国との戦争をするという構図はまさにこれではないでしょうか。

 ここまでいうと、きっと、「青い丸って悪い!やっぱ個性が大事でしょ!」と思う人がいると思います。では、今度は悪役になってしまった青い丸を消してみた社会を見てみましょう。

 

5 規範の喪失による個別化―差異を認める社会

 規範は、上記のような脅威を孕んでいます。規範による同一化は危険だとして、次に行うのは、規範の力をなくし、差異を認めるということです。つまり、「みんな違って、みんないい」ということです。これを「個別化」といいます。

 さて、このような社会は一見すると、個性を発揮しやすい社会といえます。しかし、このような個別化は、社会そのものを喪失させることになります。社会が喪失すると、個人の実力主義で生きなくてはならなくなります。また、それぞれの個別化したコミュニティ同士が交わることはありません。さらに、個人は、いままで自らを律していた規範がなくなるのですから、アイデンティティを喪失したといえます(日本人だったが、日本人ではなくなる)。

 グローバル化が進行する現代では、国家という枠がなくなり、国家という社会が喪失しつつあります。そして、より大きな単位での社会が構築されるのです。しかし、これの反動が国家主義という形で起きています。

 これも図で見てみましょう。

 

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図5

 青い丸がなくなると、共通のルールがなくなります。そうすると、社会はなくなり、個人が個人として存在する社会になります。他方で、個人を律していたものがなくなり、あるのは個性となる部分だけです。つまり、自分の思うように動くことになります。しかし、これは自分の力がすべてです。もし三角と四角に強弱があるとすれば、弱者は苦しいだけです。

 この状態をホッブズは「万人に対する万人の戦い」と名づけました。

 例えば、義務教育という国家的なルールがなかったとします。そうすると、私たちは自分の力で勉強するしかありません。自ずと能力に差がでてくるでしょう。その差は社会的地位や経済力などにも影響します。少なくとも私は、これは平等とはいえないと考えています。ほかにも、ルールの知らない子どもを一つの部屋にいれたらどうなるか想像してみてください。また、キリスト教がなくなったら、信仰している人はどうなるでしょうか。世界レベルでいえば、国際的な条約がなかったら、国と国で利益を求めて争いになります。

 このように考えてみると、青い丸がない社会っていうのもよくないですよね。 

 

6 相互交渉による規範への書き込み―理想とされる社会

 では、理想とされる社会はどのようなものでしょうか。最低限度の規範があり、かつ、差異を認める社会ということになりそうです。差異とは、規範とは異なるものですから、違和感になります。個人単位では、この違和感を対象物との相互交渉の中で理解し、規範に書き込む形で受け入れるということをしました。これを社会単位でしたらどうでしょうか。つまり、個性を受け入れ(総合交渉をし)、これを規範に書き込むことで、差異を認めつつ、社会が成立するための最低限度の規範が備わるのです。これが、理想とされる社会でしょう。

 図にするとややこしくなりますが、こんな感じです。

 

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図6

 もともとの社会で、個性と個性が相互交渉をします。つまり、互いの価値観を理解し合うのです。そして、それを規範に書き込みます。そうすると、規範による抑圧はありません。他方で、規範が共有されていますから、個別化になることはありません。これはより大きな社会レベルでも同じことになります。

 先ほどの例でいえば、「いじめ」は価値観が異なることから生じるものです。でも、他者の個性を受け入れることができればどうでしょうか。自分が他者を受け入れることで、その人を排除しなくて済むのです。社会レベルでいえば、白人と黒人では肌の色に差異はありますが、その差異を受け入れることは容易でしょう。ほかにも、LGBTなどもこれで説明できます。国家レベル、世界レベルでも同じことです。いつかは、地球外の生命体を受け入れる日もくるかもしれません。

 理想の社会の実現は非常に難しいものです。しかし、規範と個性、相互交渉と規範の更新といったものを意識すれば、より良い社会になることと思います。

 

7 まとめ:一般教養科目の問題

 一般教養科目で使用される文章は上記の知識を踏まえたものです。正確な年度は忘れてしまいましたが、個人レベルの話が1回で、それ以外はすべて社会レベルの話です。問われ方は、規範の強い社会or規範の喪失した社会or両方の社会を考え、その問題点を示した上で、理想となる社会を示すというものです。もちろん、具体的な事例に落とし込んで考える必要があります。近年は、規範の喪失した社会の問題点を指摘した上で、理想の社会を問うような問題が比較的多いと感じています(このような予想をして、実際に令和元年度予備試験はあたりました。)。

 

検討編③では、実際に平成30年度の問題を考えていきます。

事前に答案構成をした上で、検討編①②と読んだみなさんは、問題文の見方が変わるはずです。規範がアップデートされていますね。

検討編③に続く!

検討編③⇒https://j-law.hatenablog.com/entry/2020/06/20/170333