J-Law°

司法試験・予備試験受験生やロー受験生のモチベーション維持のために、定期的に問題の検討をしていきます。

検討課題6:検討編①~知識の整理~

Ⅰ 知識の整理―選挙権

1 2つの場面-権利制限の論理と制度形成の論理

 選挙権[1]は、選挙制度の存在を前提とする制度的権利です。そのため立法裁量が認められます。ここで、判例を分析すると、①権利制限の論理②制度形成の論理の2つのパターンがあることになります。

 ①権利制限の論理を採用している代表例は、在外国民選挙権訴訟[2]です。いわば、プレイヤーとして選挙に参加できるかどうかの場面(そもそも参加できない場合と参加資格はあるけど行使できない場合が想定されます。)を争っているときにこの論理は用いられ、自由権と同様の検討をすることが可能です。

 ②制度形成の論理を採用している代表例は、小選挙区制合憲判決[3]です。いわば、選挙のルールを形成する場面での争いをするときに用いられるものであり、広い立法裁量を前提にこの立法裁量を統制するという形で主張が展開されます。

 両者の違いが分かりにくい人はサッカーを例にするとわかりやすいかもしれません。①の場面は“サッカー選手として試合に参加することができない”場面です。一方で、②の場面は、“サッカーで手を使ってはいけないというルール”を争う場面です。

以下で、詳しく見ていきましょう。

 

2 権利制限の論理で攻めるー在外国民選挙権訴訟を読む

⑴ 権利制限の論理の場面とは?

 前述した通り、選挙権そのものの制限や選挙権の行使の制限の場面、すなわち、選挙に参加できるかの場面については、権利制限の論理が採用されています。在外国民選挙権訴訟は、国外に居住する国民が選挙権を有していなかった場面[4]ですので、まさに権利制限の論理が採用されました。

 また、選挙権はあるが、精神的原因により投票所に行くことができない者は、選挙権行使の機会を確保する立法措置を取らなかったことを理由に国家賠償請求をした事案[5]でも、権利制限の論理が採用されています。この事案は、法的には選挙権の行使が可能であったが、事実上選挙権行使ができなかった場合であるという点に特殊性があります。事実上の行使困難でも、同様の論理が採用できるとした理由は、ここでいう選挙権の保障は、「選挙権を現実に行使し得ることをも保障するものである」からです[6]。そのため、事実上の選挙権制限でも、権利制限の論理の場面として扱います。

 帰化日本人投票制限賠償請求事件[7]では、住民票が作成されてから3ヵ月以上記録されているという要件を満たさないと、選挙権を行使できないことが選挙権の制限であるかが争われました。参加資格に関わる事案でしたが、制度形成の論理が採用されています。これは、一時的に選挙権が制限される事例にすぎなかったことから、在外国民選挙権訴訟とは異なると判断されたと考えられます。確かに、在外国民選挙権訴訟と同様の厳しい判断基準は適さないとも思いますが、権利制限の論理の場面である以上は、(結果として、制度形成の場面と同様の判断枠組みになったとしても、)これの論理に乗った上で、制約の重大性がないことを指摘し、緩やかな審査をするという仕方も考えられたのではないでしょうか[8]

⑵ 「固有の権利」としての選挙権は認められるのか?

 在外国民選挙権訴訟では、結論命題として、「国民の代表者である議員を選挙によって選定する権利は、……基本的権利として、……一定の年齢に達した国民のすべてに平等に与えられるべきものである」と判断しました。選挙権は制度的権利という性質ではありますが、国民への平等な機会の付与という点において、立法裁量を拘束する可能性を示唆します。

 続けて、その根拠として、憲法の構造と関連条文を挙げています。判例が指摘した条文は、前文及び143条115条1、そして、15条344条ただし書です。これらの条文によれば、「憲法は、国民主権の原理に基づき、両議院の議員の選挙において投票することによって国の政治に参加することができる権利を国民に対して固有の権利として保障しており、その趣旨を確たるものとするため、国民に対して投票をする機会を平等に保障している」ということになると考えています。

⑶ 判断枠組み

 「固有の権利」としての選挙権はその重要性が高いことから、厳格に審査されるべきことになります。そこで、判断枠組みとして、「自ら選挙の公正を害する行為をした者等の選挙権について一定の制限をすることは別として、国民の選挙権又はその行使を制限することは原則として許されず、…そのような制限をすることがやむを得ないと認められる事由がなければならない」という基準を定立しました。

第1のポイントは、「やむを得ない事由」です。「やむを得ない事由」とは、「そのような制限をすることなしには選挙の公正を確保しつつ選挙権の行使を認めることが事実上不能ないし著しく困難であると認められる場合」をいうとしています。

 第2のポイントは、「自ら選挙の公正を害する行為をした者等」です。そもそも、「やむを得ない事由」の検討をする余地もない場合があるということです。その例として、判例は、公職選挙法違反者を挙げていますが、「等」ですので、他にも例があるとされます。ここでは、選挙制度の公正という観点から検討すると良いと思います[9]

 

3 制度形成の論理-どうやって立法裁量を統制するか

⑴ 立法裁量が認められる理由

 選挙権は、選挙制度を前提にする権利です。そのため、立法裁量が認められます。では、なぜ、制度的権利としての性質を有することになっているのでしょうか。

 条文としては、43条2項・47条・44条本文において「法律でこれを定める」とあることから、立法裁量が認められています(形式的理由)。

 選挙制度の立法裁量の実質的根拠は、選挙は、①民意を反映すること(国民の利害や意見が公正かつ効果的に国政に反映されること)を主目的としつつ、②民意を集約すること(政治における安定の要請)を重要な副次的目的とするもので、論理的に要請される一定不変の形態が存在するわけではないという点にあります。①②の目的は、そのときの社会情勢により大きく変わってくるでしょう。

⑵ 立法裁量の統制方法

 小選挙区制合憲判決はここから、どのような判断をしていったかというと、「政党本位、政策本位の選挙制度」という基本決定を認定しました。これがベースラインとなり、これとのずれがあるかを審査していくことになります。ベースラインを設定し、これと首尾一貫しているかを審査することで、広汎な裁量に1本の軸を入れることができ、統制ができるのです[10]このベースラインの設定は、基本的に立法者の意思ないし立法者の基本決定に準拠して決定されます。もっとも、適当でないベースラインは採用できません。ベースライン自体が妥当なものか、妥当であるとしてそれと首尾一貫しているかという形で検討するとよいと思います。

 ベースラインとして、「政策本位・政党本位」以外に、「共通の土俵の上で、共通の手段・方法をもって……平等でなければならない」が考えられます[11]。つまり、平等原則の適用です。

⑶ 議員定数不均衡

 議員定数不均衡は、平等権(憲法14条)違反として争われますが、その判断にあたっては、制度形成の論理に従った判断がなされています[12]

 まず、投票価値の平等が憲法上求められているのかというところから議論は始まります。この点、選挙権の行使の機会が平等に認められるのですから、その行使した投票の価値に差が出てはなりません。そのため、投票価値の平等は憲法14条1項の平等権の対象にあたります。

 もっとも、絶対的平等は困難であるから、相対的な平等として合理的な区別か否かを審査することになります。審査基準を定立するのですが、ここで判例選挙制度の立法裁量を論じます。すなわち、投票価値は、選挙制度の仕組みと密接に関連し、その仕組みによっては結果に影響力を生じることになるため、他の要素ともに制度形成において考慮されるべき1つの要素であるということです。判例は、絶対的な要素ととらえていないのです[13]。そうすると、どうしても緩やかな基準になってしまいます。ちなみに、参議院選挙の場合、都道府県の代表としての役割を付加させるので、より広い裁量が認められてしまいます[14]

 昭和51年判決では、国会自身の先行的判断(ほぼ二倍以下にとどめる)をベースラインとして裁量の統制を図りました。また、合理的な期間の経過や社会情勢への対応などの要素から、判断過程審査をする方法をあります[15]

 

※検討編②~制度Aの検討~に続く!

https://j-law.hatenablog.com/entry/2020/05/27/175600

 

[1] 選挙権とは、選挙において投票する自由ということです。そのほかにも、選挙運動の自由や立候補の自由がありますが、このときも権利と立法裁量との関係が問題になります。

[2] 最大判平成17・9・14民集59巻7号2087頁[Ⅱ-149]

[3] 最大判平成11・11・10民集53巻8号1704頁[Ⅱ-152②]

[4] より正確には、選挙権制限ではなく、憲法上の選挙権制限はないものの、制度設計の不備でその選挙権が行使できなくなってしまった場面であると言われています。いずれにせよ、権利制限の論理で攻める場面です。

[5] 最1小判平成18・7・13判時1946号41頁。ただし、この事件では、立法不作為の違法性が争点でしたので、判旨では十分な議論はされていない。

[6] 泉裁判官の補足意見を参照。

[7] 東京高判平成25・2・19判時2192号30頁。原審は、東京地判平成24・1・20判時2192号38頁。原審では、権利制限の論理の場面と把握している。

[8] 戸別訪問禁止は、選挙権のうち、選挙運動の自由の制約となります。この事案では、自由権としての表現の自由の行使の側面が強いため、権利制限の論理に沿って、最3小判昭和56・7・21刑集35巻5号568頁[Ⅱ-158]は検討しています。この事案では、表現手段の制限にすぎず、また、立法裁量の広い領域ですから、緩やかな審査が採用され、合憲判決がなされました。権利制限の論理であっても、必ずしも違憲となるものではないということです。

[9] 連座制(候補者と一定の関係にある者が悪質な選挙犯罪によって刑を処せられた場合に、候補者も処罰を受ける制度)により処罰を受けた候補者は、ここに含まれるかの検討対象となるでしょう。最1小判平成9・3・13民集51巻3号1453頁[Ⅱ-160]で、連座制の合憲性について判断されていますから、この判例の着眼点はポイントになるでしょう。

[10] 政見放送は所属する候補者と所属しない候補者で差異が生じ、既成政党等にのみ有利であることになります。小選挙区制合憲判決では合理的な根拠がないものではないとして合憲としています。最大判平成19・6・13民集61巻4号1617頁の横尾裁判官の反対意見では、このような差異は、無所属候補者の政策を表明する機関を著しく制限するものであり、それを国民が接する機会も制限されることになるため、政策本位という立法目的にかえって反することになると指摘しています。

[11] 前掲・平成19年判決の田原裁判官の反対意見参照。

[12] 最大判昭和51・4・14民集30巻3号223頁[Ⅱ-148]が、初めて違憲判決をした判例であり、リーディングケースとなっています。

[13] 選挙区割りでは、人口比例原則で最も重要な要素とされます。もっとも、都道府県を基礎としての地域のまとまり具合(政治的意見の反映にあたっての地域区分)なども重要な要素になってきます。

[14] 憲法43条は「全国民の代表」であるとしています。そのため、地域の代表であるという性質はどうも重視されなくなってきています。最大判平成24・10・17民集66巻10号3357頁[Ⅱ-150]を参照。

[15] 最大判平成16・1・14民集58巻1号56頁[Ⅱ-154②]の亀山裁判官ほかの補足意見2がその嚆矢とされています。