J-Law°

司法試験・予備試験受験生やロー受験生のモチベーション維持のために、定期的に問題の検討をしていきます。

検討課題2:検討編①~憲法上の権利の制約~

Ⅰ 改訂者の意図

 問題を作る側がどのようなことを考えて作るのかを知ることは、意外に問題分析にとって役に立つことが多いです。司法試験においては、出題趣旨で出題者の意図、採点実感で採点者の意図がわかるようになっています。出題趣旨で出題者の意図を把握した後、問題文のどの部分が誘導になっているのかを分析してみてください。例えば、令和元年度司法試験では、書いてほしい権利の主体が明確に示されています。

 さて、本問は広告放送の自由についての問題であり、受験生であれば一度は見たことある旧司法試験平成18年度第1問を改題することにしました。問題形式を、主張-反論-私見型に変更するとともに、一部事情を追加しました。この追加された事情をどのように考えるのかがポイントです。

 テレビ局の広告放送は、追加された事情によれば、営業色が強いものである一方で、テレビ局の意図が多分に考慮されているものでもあります。このような広告放送の特殊性をどう答案に落とし込むかがポイントになってきます。主に、判断枠組みの定立において、事案に踏み込んだ検討が求められており、権利の重要性や制約の重大性という抽象的な言葉の本質的意味を理解しているかがポイントです。

 

Ⅱ 入口の特定

 憲法の事例問題を解くに当たっては、(答案には直接的には書かないが、)入口の特定が重要です。ここでいう「入口」とは、当事者の生の主張から特定された具体的自由の設定・権利と条文の選択及び違憲の対象の選択です。もちろん、訴訟選択も含まれます。

 まず、X局の代理人としては、どのような権利を選択することになるのか。Xの生の主張は、「広告収入の減収により損害を被っている。なんとかならないか」というものです。これを法的に構成し直すと,“テレビ局が広告放送をする自由”への侵害となります。

 この“テレビ局が広告放送をする自由”が憲法のどの権利として主張すべきか。権利・条文の候補としては,表現の自由21条1項)営業の自由(22条1項)になると思います。X局の代理人としては,より強力な権利を主張したいし,放送という行為は情報発信行為ですから,表現の自由を選択するのがよいでしょう。

 違憲の対象の特定の仕方については,立法事実(社会における一般的抽象的事実)と司法事実(当該人物における個別的具体的事実)の分量を見ること違法の帰責点がどこにあるのかを探ることなど様々な方法があります。その中の1つとして,どの部分を違憲無効とするかという視点から検討することも有効です。仮に,本件法5条のみを違憲の対象とした場合,時間制限の規定は存在したままであり,X局の不満を根本的に解決することはできません。他方,本件法全体を無効として消す必要があるかといえば,そのような必要まではありません。このような検討から,違憲の対象としては,本件法4に限るのが有効な主張となると考えます。

 なお,訴訟選択としては,本問では,X局の損害を回復させなくてはならないことから,国家賠償請求(国家賠償法1条)であることに疑いはないでしょう。

 

Ⅲ 憲法上の権利の制約

1 知識の整理1-表現の自由

 保障範囲や判断枠組みの定立に際して、条文の定義や保障根拠から検討するので、まず、条文の定義や保障根拠を確認しておくことにします。

 表現の自由には,大きく分けて,「集会」の自由,「結社」の自由,「言論,出版その他一切の表現の自由」に分けられます。「その他一切の表現」の自由としては,情報発信としての自由と情報受領の自由が類型として存在しています。

 「表現」とは,内心の思想・意見の外部への表明行為をいいます。その中核には「言論」が存在しますが,広くコミュニケーションのための情報発信を含みます[1]

 表現の自由の保障根拠は,①真理への到達を可能とする思想の自由市場に資する点,②民主主義的自己統治にとって不可欠であるとする点,③個人や集団の自律ないし自己決定の本質的要素である点,④言論規制の領域における政府の能力に対する不信から,規制をされるべきではないという点と言われています[2]。文献により違いはありますが、①~③の保障根拠の内容はおおむね共通しているので、正しく理解しておくべきです。

 

2 知識の整理2-営利的表現

 営利広告は伝統的には経済活動と捉えられており,現実にも国民の生命健康の維持や消費者保護の観点から,虚偽・誇大広告を禁止するなどの措置が講じられてきました[3]。そのため,営利広告のような営利的表現は営業の自由で保障されるにすぎず,表現の自由として保障されないと考えることができます。

 この点について,あん摩師等法事件[4]では,法廷意見としては営利広告の自由が憲法21条の保護領域に含まれるか否かについて判断されていません。これに対し,現在の学説は,営利広告が消費者に情報を提供しその自律的選択を促す点で国民の「知る自由」に奉仕するものとして,憲法21条によって保護されると考えるものがあります[5]。これは,保障根拠との兼ね合いでいえば,保障根拠①にいうような思想の自由市場と同様のいわば情報の自由市場に資するようなものであると関連付けられないでしょうか。また,受け手側の自律に資するという点では,保障根拠③とも関わるような気もします。

 また,その他の理由としては,ある一定範囲の表現につき実質的に保障範囲から除外することができるとすると,表現の自由の保護範囲の外延が不明確となり,表現の萎縮効果を及ぼす可能性があり,表現の自由全体の十分な保障を全うできなくなってしまうおそれがあるため,人格的価値が図りにくくなり(保障根拠③),また,政府の恣意的な規制を容易にしてしまう(保障根拠④)とも考えられます。簡単に言ってしまえば、「表現」の定義に当たる以上は,保障されるとすべきとの理由です。

 

3 知識の整理3-法人の人権?

 本問では、テレビ局の広告放送の自由について保障されるかを検討します。そうすると、テレビ局という法人についての権利であることから、いわゆる「法人の人権享有主体性」の論点がでてくるのではないかと思われます。法人の人権享有主体性については、八幡製鉄事件[6]で「憲法第3章に定める国民の権利および義務の各条項は,性質上可能なかぎり,内国の法人にも適用される」とされています。

 もっとも,法人の人権享有主体性を書く必要性が果たしてあるのかについては疑問があるところです[7]。そもそも,法人の人権享有主体性という論点の問題の所在はどこにあるのかという点から考えてみようと思います。

 「人権」という言葉の定義を人間であることに固有する権利と位置付ける場合,確かに,法人は人間にあたらないため,その権利は生じるかが問題となります。もっとも,憲法の思考方法においては,「人権」という表現ではなく「憲法上の権利」という表現を用いています[8]。このように「憲法上の権利」という表現を使用すれば,人間であることに固有する権利に限られておらず,法人の人権享有主体性の問題の所在が生じません。また,憲法上の権利にあたるかという問題提起の中に,法人の権利が憲法上の権利にあたるかという問題が内在されていることになります。

 このように考えると,本問を例にとれば,“テレビ局の広告放送の自由”が憲法21条1項で保障されるかという検討の中で,“テレビ局”という要素を含めた検討をすることになります。このように,法人の人権享有主体性という論点は,憲法上の権利の保障における考慮要素を1つとして姿を変えて検討されるのであり,別途論証を展開するほどの検討は不要になったとも考えることができます。

 

4 本問の検討

 本ブログでは、受験生が考える出発点として利用してもらうことが目的です。なので、あえて結論を明記することは控えます。「こうも考えられるよね、こうは考えられないの?」などと自分で考えてもらいたいです。結論がわかりたいというのであれば、ほかの人と議論をしてみてください。司法試験合格者はやはり考える力がすごいですよ。

⑴ 保障範囲

 本問において,原告としては,“テレビ局の広告放送の自由”が憲法21条1項により保障されるという主張が考えられます。「表現」の定義にあたるか否かがまず問題となります。この点については,本問における具体的な事情を考慮して検討してください。

 他方,被告の反論としては,テレビ局の広告放送は営利行為であることから,憲法21条1項では保障されないとの反論が考えられます(憲法22条1項により保障されるとの反論では,憲法21条1項と並列して保障される余地があり,主張に対する反論の表現として不十分です)。

 問題文によると,「広告放送による営業戦略を行う販売会社は販売率が上昇する一方で,テレビ局としても高額な広告料を確保することができ,Win-Winな関係を築いていた」との事情から利潤追求目的であることは否定できません。それでもなお,表現の自由として保障しうる理由を,保障根拠との兼ね合いを含めて私見として展開することになると思います。また,「テレビ局がドラマ等の登場人物とCMのコラボをすることで,ドラマ等の視聴率を上げることにもつながっており」という事情からテレビ局でも思想・意見の表明という要素を読み込むことは可能でしょうか。このあたりの問題文の事情に即した検討をしてもらいたいと思います。

⑵ 制約

 制約については,“具体的な自由”への制約を端的に認める必要があります。一点,注意してほしいこととしては,刑罰による制約は認められないということです[9]。例えば,本問において,本件法5条が制約の根拠となることはありません。刑罰が科されていたとしても,それ自体行為を制限することにはならないからです。あくまでも,刑罰は規制法規の実効性を高める(本問でいえば,本件法4条の実効性を高める)ために存在しているにすぎません。

 本問においては,本件法4条により,午後6時から同11時までの時間帯における広告放送を1時間ごとに5分以内に制限されてしまうことから,テレビ局の広告放送の自由が制約されることになります。

 もっとも,本問において,やや気になる事情があります。すなわち,「かつて60分のうち広告放送はわずか2~3分であった」という事情です。この事情を前提とすると,本件法4条による規制は過去の慣習に沿った規制にすぎず,制約がないとも考えられないでしょうか。しかしながら,そもそもテレビ局の広告放送の自由は,テレビ局が好きな時間に好きな広告を放送することができるという自由であることから,過去の慣習に沿った規制にすぎないからといって,“テレビ局の広告放送の自由”を制約しないと評価することは難しいと思います。

 

※検討編②⇒https://j-law.hatenablog.com/entry/2020/05/11/121445

 

[1] 渡辺康行ほか『憲法Ⅰ 基本権』(日本評論社,2016年)218頁。

[2] 表現の自由の保障根拠については,玄唯真『読み解く合格思考 憲法』(辰巳法律研究所,2015年)73頁参照)を参照。ただし,渡辺ほか・前掲注(1)214~215頁では,①~③を保障根拠として捉えている。このように論者により保障根拠について差はあるが,①~③は,共通項となる保障根拠であり,必須の知識とすべきであろう。

[3] 渡辺ほか・前掲注(1)227頁。

[4] 最大判昭和36・2・15民集15巻2号347頁[Ⅰ—54]。ただし,少数意見として,垂水裁判官は経済活動の自由として扱われるべきと主張しており,他方,奥野裁判官は表現の自由に含まれると主張している。

[5] 渡辺ほか・前掲注(1)228頁参照。

[6] 最大判昭和45・6・24民集24巻6号625頁[Ⅰ—8]。ただし,かかる部分は当該事案の解決に必要とされる解釈部分とはいえず,先例としての価値がないとも考えられます。

[7] 旧司法試験平成18年度第1問について,演習書の参考答案を俯瞰すると,書いているものもあれば,書いていないものもあります。

[8] 宍戸常寿『憲法 解釈論の応用と展開〔第2版〕』(日本評論社,2014年)78~80頁参照。

[9] 制約が全く認定できないということではない。刑罰があることで萎縮効果が生じてしまい,実質的な表現活動の制約となると考えることは可能である。ただし,このように考える場合,違憲の対象は刑罰法規となってしまうことに注意が必要である。また,手段審査において,刑罰が過剰であるとの指摘を目にするが,このような記載をすると,過剰部分である刑罰法規のみが違憲無効となり,規制法規を違憲無効とすることはできない。このことから,刑罰法規を違憲の対象とすることは慎重にならなくてはならない。平成27年度司法試験採点実感でも同様の指摘がなされている。